a lot of my memories

mimi

2、3日食欲不振と不眠症を患いました。
ようやく文章に書けるまで回復したかな。
文章に書き表すのってけっこう辛いよね、書きながらジワジワと想い出が蘇ってきて涙が出そうになるんじゃもん。

でもさぁ、
きっと日が経つにつれて記憶って薄れていくと思う。
ずっと忘れたくない。書きとどめときたいよ。
10月23日の夜のこと。


23日の夜、いつも通り帰宅。
車から降りて、いつもなら小屋で寝ているミミのところに行って声をかけるのが習慣。
だからミミが居ないことにすぐ気づいた。
一瞬不安がよぎり、慌てて玄関開けて、「ミミはミミは?」って大声で叫びました。
その瞬間、玄関にある段ボールが目の中に入った。と同時にお母さんが泣きながら飛び出してきて、「そうなんよ急だったんよ。。あんたにすぐ知らせようとようと思ったけど、車だし途中で事故でもしたらいけんと思って、帰って来るまで言えんかったんよ。。」って。
一瞬にして何が何だか分からんくなって、あたしは泣き叫んで段ボールの中を覗きました。その中には、毛布にくるまれて花ののせられたミミが眠っていました。
「まだ暖かいけん、触ってあげて…」そうゆうお母さんの言葉に、あたしはおそるおそる、いつもみたいに首をさすってみました。「まだあったかいのに、何で目開けんのん…。いやだよ……。」もう涙が止まりませんでした。とゆうか、ずっと泣き叫んでいました。
お母さんの話では、夕方5時頃、いきなりミミが変な鳴き声をあげたのにお父さんが気づいて、慌ててお母さん呼んで二人でかけよったけど、その時にはもう倒れていたんだって。ほんの一瞬の出来事。心臓麻痺かもしれないって。
「最後に家族がおる時に死ねて、ホント良かった。一人で死ぬ程可愛そうなことはないんよ。それに、何日も何日も苦しまずに死ねた事はミミにとってもいい死に方だったと思うよ。最後まで良い子だったよ、この子は。」
そうゆうお母さんの言葉に少し心が落ち着きました…。


今朝いつもみたいに、元気だったんよ。
すごい家族が好きで、今朝も窓の隙間から家の中覗いてて、家の中でみんなが動いてるのずっと見てた。元気そうな顔しとったんよ。
毎日家を出る時も、帰って来た時も、しっぽふってくれた。
あたし小さい頃からしょっちゅう親と喧嘩しよったけん、その度に外出てミミの隣に座ってグチもらしたり、ボーッと考え事したりしよった。兄妹おらんかったけぇ、ミミがホントの兄妹みたいな存在だった。


ミミが家に来たのは、あたしが小学2年生の5月、7歳の時。お母さんの会社の人が拾った犬で、あたしが犬飼いたい飼いたいって言いよったけん、お母さんがもらって来てくれることになったんよね。友達と、お母さんがミミを連れて帰ってくるのを待ち遠しく待ってたの覚えてる。

それからあたしの人生の2/3以上、ほとんどの記憶はミミがいた生活。
それが急になくなった事はホントに寂しくて、やり切れなかった。
ミミにとっての15年間は幸せだったんかなぁとか、もっと可愛がってあげればよかったなぁとかたくさんの事考えたし、後悔したりもした。


でも、ミミの最後の顔があまりに可愛くて、笑っているようで、幸せそうな顔に見えた。
そして、どうしてもあたしに「一人でもしっかりね」って言ってるように見えた。不思議とそう思えた。

ミミにとってもいい15年間だったって思いたいな。


命って儚い。でもその事に本当に気づくのは、大切な人を失ってから。
その人の死に生きる勇気をもらうんだよ。自分の命を精一杯生きる事を教えられるんだよ。

高校3年生の時、後輩を事故で亡くした。その時もあまりに急で、お通夜に行くまで信じられなかった。千羽鶴も準備したけど、全く実感がわかなかった。
だけど、お燗に入った後輩を見て、初めて命の儚さを感じた。
日々の生活で、自分の死を予測している人なんていないと思う。でも、いつ自分に何が起きるか分からない。だからこそ、精一杯生きる。その時強く思った。


ミミの死は、あたしにまた勇気をくれました。



10/24
この日はものすごく綺麗な空で、火葬場でお別れした後空を見上げると、何だか不思議と、ミミが天国に昇っているように感じました。